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F1
machine:Uncommon machines |
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■珍マシン集 |
F1はとても世界最高峰のレースだけあり、とても格式高いものです。マシンのレギュレーションもとても厳しい。しかしライバルに勝つためには、斬新なアイディアのマシンを作ることも求められます。それは、最速マシンを作ることにつながりますが、時には「アイディア倒れ」に終わることもあります。ここでは「アイディア倒れ」に終わった悲しいマシンたちを紹介します。
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◆1974 - Maki F101
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1974年春、極秘裏に開発されていた日本製のF1マシンが発表された。その名はマキ
F101。
このマシンは、フォード・コスワースDFVエンジンに、ヒューランド・ギアボックス搭載という市販パーツを集めたマシンであり、アマチュア達の情熱の結晶であった。
1976年まで挑戦を続けたが、決勝に進めたのは1975年のスイスGP(非選手権戦)だけであった。
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◆1976 - Tyrrell P34
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フォーミュラカーにおける空気抵抗のほとんどは、剥き出しのタイヤによるものである。しかしフォーミュラカーはタイヤが剥き出しであることが前提であるため、タイヤをカウルで覆うことは許されない。
そこでティレルは前輪を小さくしてしまおうと考えた。しかしそれでは前輪のグリップが落ちてしまう。ならタイヤを増やせばいいじゃないかという発想で生まれたマシン。
アイディアだけなら普通に思いつきそうだが、実現させてしまったことが凄い。デビュー4戦目にして優勝を果たし、ドライバーの年間成績も3-4位と、一応の効果は得られた。
翌年は更なる進歩を目指し、カウルデザインを一新した6輪マシンを投入したのが、思ったような成績は得られなかった。
1976年まではグッドイヤーがタイヤ供給を独占していたのだが、1977年からミシュランがF1に参戦、タイヤ供給を開始した。タイヤ戦争の勃発により、ティレルにタイヤ供給を行っていたグッドイヤーが、6輪車専用タイヤの開発に手が回らなくなった。それがティレルの低迷に直接つながったのだ。
結局2年限りでティレルの6輪車は姿を消すこととなった。
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◆1978 - Brabham BT46B
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マシン後方に巨大なファン(扇風機みたいなもの)を着け、シャシー底部の空気を強制的に吸い出して気圧を下げ、車体を地面に吸いつけるようにして、ダウンフォースを得ようとしたマシン。
レギュレーションで可動式の空力パーツは認められていないのだが、「ラジエターの一部」だと言い切って、無理矢理合法化してしまった。実際にラジエターから空気は入っている。
この効果はてきめんで、デビュー戦で1-2フィニッシュを決めた。ところが、後方のマシンに埃だのゴミだのが吹き付けられ、安全に問題があるとして即禁止されてしまった。
ロータスのウィングカーとは違った方法で、ダウンフォースを得ようとしたことはおもしろい。シャシー底部の空気の流れに注目したという点では、時代を先取りしていたといえよう。
F1マシンとしては初めての試みだったが、可動式のファンでシャシー底部の空気をを吸い出すというアイディアそのものは、このマシンが初めてではない。ちなみに、この技術の採用を提案したのは当時ブラバムのオーナーであったバーニー・エクレストンである。この「違法なマシン」が、後のエクレストンvs.バレストルの政治的争いの原因となってしまった。
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◆1979 - Arrows A2
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1978年、ロータスはグランドエフェクト理論に基づいたウイングカーで、シーズンを制した。そのため、翌79年は、どのチームもグランドエフェクト理論に基づいたマシンを投入して来た。
しかし、形状は各チームまちまちで、ロータスそのまんまのマシンや、それを発展させたマシンもあった。
アロウズが投入したのは、グランドエフェクト理論を大きく発展させたマシンである。サイドポンツーンだけでなく、ノーズからリヤアクスルまで、マシン全体をウイング型にしてある。
これにより、非常に大きなダウンフォースを発生させるはずだったのだが、サイドポンツーンがリヤタイヤを逃げるような、特異(というか目的が読めない)デザインだったため、思うようなダウンフォースを得られず、成績は残せなかった。
形は完全にナメクジであった。カラーリングとサイドミラーの形状がさらにそれっぽくしている。
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◆1990 - Life F190
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元フェラーリのエンジンデザイナー、フランコ・ロッキの設計による、W型12気筒エンジンを搭載するという、奇想天外なレイアウトのマシン。フェラーリに似せたカラーリングに、Car
No.39というのが哀愁を漂わせている。
W型エンジンと言っても、ベントレーやブガッティのロードカーに搭載されているような専用開発品でなく、直列4気筒を扇形に3基並べただけという、ちゃちなものだった。
最高成績は予備予選での7位(下から2番目)で、決勝は愚か、予選にも進めたことが無い。このマシンは遅いだけでなく信頼性も最悪で、最大で5周しか走ったことが無い。そのため、F1史上最も遅いマシンといわれている。 シーズン途中でエンジン開発を断念し、ジャッドエンジンに載せ変えるが、参戦当初の目的がエンジンテストだったとして、シーズン途中で撤退した。しかしこんなエンジンをテストして何に使う予定だったのだろうか。
あまりにもマシンが遅すぎるために、ドライバーに逃げられてしまうという珍事件も起きている。
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◆1992 - Ferrari F92A
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前年不振に終わったフェラーリは、更なるハイノーズ化と、ツインアンダートレイという革新的なエアロダイナミクスを持つマシンを投入した。
ツインアンダートレイというのは、ボトムとサイドポンツーンの間に空間が設けられているレイアウトのことである。
これでマクラーレン、ウィリアムズらを撃墜するはずだったが、トラブルが多発しますます成績不振に陥ってしまった。
しかし、戦闘機を思わせるサイドポンツーンや、シャープなボディー、そして美しいカラーリングで、見た目の評判は良かった。モデラーたちには絶大な人気を持つマシンである。でも遅かった。
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◆1999 - BAR 001
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スポンサーであるBATが、「2つの銘柄を宣伝したい」と言うもんだから、2台それぞれ違うカラーリングにしようとしたら、「2台のカラーリングは同じにしなさい」とFIAに言われ、それならばと左右非対称のカラーリングにしてしまったマシン。
結果、横から見れば綺麗だが、正面から見るとただケバいだけという悲惨なマシンになってしまった。
このマシンは外観が最悪なだけでなく、遅かった。さらに信頼性も最悪で、完走率は全チーム中最低だった。当然結果も散々で、ノーポイントでミナルディに負けたのだ。「遅くて壊れて汚い」という最悪なマシンであった。
ちなみに、ピットクルーたちは、マシンと同じデザインのレーシングスーツを着ていた。人間の左右の色がが見事に別れている様は、理科室の人体模型さながらだった。
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◆2001 - Jordan EJ11
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F1が開催されるサーキットの中で最も低速なモナコでは、毎年各チーム、マシンにいろいろな工夫をしてくる。
その中でも、このチームのしたことはすごかった。コックピットのすぐ前にT字型のウィングを着けてしまったのだ。
レギュレーションで規制されていない部分にウィングを設置するということは、ダウンフォースを得る常套手段であるが、さすがにこれはやりすぎだったのだろう。このウイングは、ネーミングすら与えられる事も無く、1セッション走っただけで禁止されてしまった。
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◆2001 - Arrows A22
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前述のジョーダンを上回ることをしてきたのが、永遠のB級チーム、アロウズだった。
ジョーダンがコックピット前方にT字形のウィングを着けてきたのに対して、アロウズはノーズ先端にV字型のウィングを着けてきた。
当然ながら、こちらも1セッション走っただけで禁止されたこれに対してアロウズのチーム代表、トム・ウォーキンショウは「せっかくの広告スペースがなくなってしまった。」と語ったらしい。
ドライバーのフェルスタッペンは、「別に前はよく見えるし、視界を遮られることもないから問題ない。」と語ったらしい。
考えてるいることはジョーダン、アロウズともにほとんど同じだが、アロウズの方が空力的にも強度の面でも優れていたと思われる。
とはいえ、両者とも1セッション走っただけで禁止されてしまったし、テレビにもほとんど映っていないため、完全に「作り損」になってしまった。 それでも、久々にサーキットに現れた、微笑ましいマシンだったといえよう。
ちなみにアロウズは同様のパーツを80年代にもテストしていた経緯がある。これはウイングカーの禁止に伴って減少したダウンフォースを補うためだった。しかし実戦に投入されることはなかった。
もしかしたらアロウズは、お蔵入りになったあのパーツに日の目を見せてやろうとしていたのかもしれない。
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◆2002 - Jordan EJ12
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2001年、多くのチームがハイノーズのマシンで戦う中、フェラーリはローノーズのマシンを投入し、圧倒的な速さを見せた。
そのため、2002年は多くのチームがローノーズのマシンを開発した。ジョーダンも、この流れに従って、ローノーズのマシンを投入した。EJ12である。
しかしこのマシンは単純にノーズ先が下がっているだけではなかった。ノーズが一度上がって下がるという非常に特徴的なデザインだったのだ。 空力性能を追求した結果のデザインだったのだろうが、ドライバーは足を上げる形になり、視界も非常に悪かった。その結果、「まっすぐ走らせることことも困難なマシン」といわれた。 デザイナーのエグベム・ハミディはクビになった。ホンダには切り捨てられた。スポンサーにも逃げられた。
それでも、コンストラクターズ・ランキング6位という成績を残せたのは、ホンダ・エンジンとブリジストン・タイヤ、そしてジャンカルロ・フィジケラ、佐藤
琢磨の両ドライバーの実力だろう。
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◆2003 - McLaren MP4-18
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前年ボロボロだったマクラーレンが、打倒フェラーリを目標に開発したマシン。多くの革新的なテクノロジーを詰め込み、テストに初登場させたのが5月22日。すでに開幕6戦が終了した後だった。
開発に相当時間がかかっただけあり、周囲の注目も非常に大きかった。しかし、テストではトラブルが多発し、毎回ガレージにこもりっきりだった。しかも何度クラッシュテストを受けても通らず、また、非常に運転がしにくいマシンと言われ、たまにいいタイムが出ても、長続きしなかった。
チームは必死の開発を続け、レースへの投入を散々先延ばしにした末、結局はお蔵入りとなってしまった。
そのため、チームは前年のマシンの改良作である、MP4-17Dでシーズンを戦うことになってしまった。そういった厳しい状況の中ドライバーは頑張り、キミ・ライコネンは最終戦までチャンピオン争いを演じた。
4台が製作されたこのマシン、1台はクラッシュテストで使われて廃棄処分になっていることが確認されているが、残りの3台の行方は誰も知らない。
マクラーレンのあるスタッフは、「火薬を詰めて花火にするくらいの価値はあるかな」と言ったらしい。MP4-18は、18億円と言う巨額の資金を投じた史上最大の失敗作だった。
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◆2004 - Williams FW26
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新車発表時にこのマシンを見て驚きを感じなかった者はいないはずだ。このアイディアがいつフランク・ウィリアムズに伝わったかは定かでないが、よくもまあOKを出したものである。それどころかショック死しなかったことも不思議だ。
シーズン序盤こそフェラーリに次ぐ位置にいたが、3戦目にしてBARに食われ、続いてルノーに潰され、さらにはマクラーレンにまで蹴落とされると言う見た目も結果も悲劇的なマシンとなった。
当然デザイナーはクビとなった。最終戦にモントーヤが勝利を挙げたときには、ノーズはスタンダードなものに入れ替わっていた。
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