F1 2003:Rd2 Malaysia

■マレーシアGP

 3月21日、アメリカ、イギリス軍はイラクへの攻撃を開始しました。2001年のアメリカ同時多発テロの時は、「こんな時にF1などやっている場合ではない」とグランプリ中止を訴える意見も多く挙げられました。しかし今回はそうでもありませんでした。イラクはグランプリ開催国ではないからでしょうか。マレーシアはイラクと同様にイスラム教国です。同時多発テロの時より安全だとは思えません。

 私は今回のグランプリこそ、中止されるべきだったと思います。確かに、同時多発テロの時にグランプリを中止することは「テロに屈した」ことになりますから、反対でした。しかし、今回の問題はテロではありません。戦争です。グランプリを続けることに意義はあったのでしょうか。これに関してはさまざまな意見、考えがあるでしょう。

 F1界にはこの戦争を「商売」に利用してしまった不届者がいました。ミナルディです。同チームは、イラク戦争に反対の立場であるマレーシア政府から多額の資金を受け取り、マシンに「Malaysia for Peace」というロゴを入れました。言ってしまえばこれは政治広告です。当然、バーニー・エクレストンから大目玉を食らい、さすがのポール・ストッダートも最後には「二度としません」と言ったようです。

 ミナルディは資金的に厳しいチームです。こんなことをしなければチームそのものの存続が危ういのはわかります。しかし、イラクの状況はそんなものではありません。人々は空爆におびえているのです。そういったことから、私はグランプリの中止を主張するわけです。
 

 
 今回のレースそのものは、それほど面白いレースとは言えなかったかもしれません。しかし、アロンソの初PP、ルノーの23年ぶりのフロントロー独占、そしてライコネンの初優勝と、F1の新時代を予感させる興味深いものとなりました。「エキサイティング」というより「インタレスティング」なレースだったと言えるでしょう。

 今回は、ライコネン、バリチェロ、アロンソのトップ3の動きを中心に分析していきましょう。
 

 
フェラーリはマクラーレンに負けているとはいえない
 トップ3のラップタイムをグラフにまとめました。これを見ると、全体にライコネンが速く、バリチェロはそれをやや下回っているように見えます。ペースを落した第3スティントは別として、バリチェロが他車に詰まること無く走れていたのは10〜21周目、35〜37周目までだけでした。この周回ではライコネンと互角のタイムを出しています。

 つまり、バリチェロはライコネンと同等のポテンシャルを持っていたのです。ではなぜバリチェロはライコネンに大差を付けられた形になってしまったのでしょうか。
 


 
レースはスタートで決まった
 スタート直後に発生した事故で、順位に大きな変化がありました。上位ではミハエル・シューマッハとトゥルーリが接触し、後方ではピッツォニア、モントーヤ、フェルスタッペンが接触し、それぞれ後退しました。

 トップ3人はどうだったでしょうか。1位を走っていたアロンソは、後方で発生した事故の影響を受けませんでした。2コーナーでアウト側にいたバリチェロは、接触で姿勢を崩したミハエル・シューマッハに目の前を塞がれる形になり、5位から6位に落ちました。この時イン側にいたライコネンは、7位から4位に躍進しました。

 下の図は、スタートからオープニングラップ終了時までの順位変化を示したものです。参考までに最終順位も示してあります。これを見ればわかるように、実際に接触を起こした5人以外で、スタートで順位を落したのはバリチェロだけだったことがわかります。(フレンツェンはスタートできず)

 この事故のせいで、バリチェロは遅いバトンとハイドフェルドの後ろになってしまいました。この2人は簡単に抜くことのできる相手でしたが、後方にパニスが迫ってきたため、安易にオーバーテイクを仕掛けられませんでした。4周目にバトン、9周目にハイドフェルドを抜いてやっとライコネンの後ろになった時には、すでに14秒もの差をつけられていました。

 これに対してライコネンは、バトンの後ろに下がることはなく、後ろから追ってくる相手もいなかったので、2周目という早い段階でハイドフェルドを抜かすことができました。

 スタートでの事故、これがバリチェロ最大の敗因です。しかもこの原因を作ったのは、チームメイトでした。
 

 
追うバリチェロ、逃げるライコネン
 9周目以降、バリチェロは必死の追い上げを開始しますが、ライコネンはそれと同等以上のタイムを並べて応戦しました。そのためライコネンが最初のピットインを迎えるまでに差を縮めることはできませんでした。

 バリチェロの1周目のピットインはライコネンより3周遅いものでした。基本的に遅くピットインをする方が有利なのですが、さすがに3周で14秒差を逆転することは不可能です。それでもピットアウト後には2秒ほど差を縮めることができました。スタートでの事故を恨んだことでしょう。ライコネンの後ろ2秒以内にいれば逆転できたのですから。そもそも予選順位はバリチェロの方が前だったのです。

予選1位のアロンソ、決勝では不発
 アロンソはトップ3のうち最も軽い燃料で予選を戦い、見事ポールを獲得しました。スタートでの事故の影響も受けませんでした。しかし軽い割には第1スティントのタイムは今ひとつで、ライコネンとバリチェロにじりじりと詰め寄られました。

 そのまま1回目のピットインを迎えましたが、直後にミッショントラブルが発生してしまいます。燃料が重い上に、トラブルが発生したアロンソは、急激にラップタイムが低下します。その間、ライコネンとバリチェロは2秒近く速いタイムで走り続けていました。

 アロンソがピットインする直前のライコネンとの差は約3秒でした。ライコネンはアロンソより平均1.5秒以上速いタイムを5周並べてピットインしました。ライコネンはアロンソを逆転し、悠々トップに立ちました。

 アロンソがピットインする直前のバリチェロとの差は約18秒でした。バリチェロはアロンソより平均1.5秒以上速いタイムを8周並べてピットインしました。しかしそれまでの差が大きかったため、3秒差にまで詰め寄りましたが、逆転はできませんでした。

 バリチェロはコース上でアロンソを抜かすことができず、第2スティントはトラブルを抱えたアロンソのペースにつき合わされ、ライコネンとの差は広まる一方でした。2回目のピットインでバリチェロはアロンソを逆転しました。ライコネンとは22秒もの差が開いていました。
 

 
ルノーはフェラーリとの差を縮めている
 上のグラフは、各ドライバーのピットインの周回を示したグラフです。カッコ内の数字は予選順位です。なお、スタートできなかったり、1回目のピットインより前にリタイヤしたドライバーは除外してあります。また、ペナルティストップも記載していません。

 アロンソはやはり軽い燃料でした。バリチェロより8周分も軽くなっています。それでも、バリチェロを0.535秒上回ったにすぎません。

 燃料を1周多く積むと、予選タイムは0.1〜0.2秒遅くなると言われています。昨年のマレーシアGP予選では、ルノー(バトン)はフェラーリ(シューマッハ)に1.979秒遅れでした。去年のルノーがフェラーリと互角のタイムを出すには(新予選システムが採用されていたら)、最低でも10周分軽くする必要があったわけです。今年は8周分軽くして、フェラーリを0.5秒上回ったのですから、ルノーはフェラーリとの差を縮めていると言えます。

ライコネンvs.バリチェロ(予選)
 バリチェロはライコネンより3周分重い燃料でしたが、予選でライコネンを0.3秒も上回りました。これはバリチェロが速かったというより、ライコネンがミスをしたことが原因です。ノーミスだったらライコネンはバリチェロはの前に出ていたでしょう。

 トップ3の1回目のピットインは、アロンソが14周目(全周回の25%)、ライコネンが19周目(34%)、バリチェロが22周目(39%)でした。また、3人とも2ストップ作戦でした。

 アロンソはレース周回数(56周)の4分の1の燃料でスタートしましたから、「軽め」だったといえます。ライコネンはきっちり3分の1だったので、「標準」的な作戦でした。バリチェロは5分の2で、「重め」でした。

 今回のレースでわかったことは、予選順位と第1スティントのペースは必ずしも比例していないということです。前述のように、アロンソはトップ3の中1番軽い燃料でスタートしたのに、第1スティントのタイムはバリチェロやライコネンに劣っています。ハイドフェルドにも同じことが言えるでしょう。つまり、予選での燃料の過剰搭載は自分より遅いマシンに詰まる可能性が高くなることを意味します。

 フェラーリにとってはこれは予想外だったのではないでしょうか。予選で燃料を軽くすることには大きな意味があるのです。

 バリチェロは燃料を積み過ぎたことが、今回のレースの直接の敗因とは言えません。しかし、アロンソと同じだけの燃料で予選を戦っていたら予選順位はどうなっていたでしょうか。事故で後退することはあったでしょうか。

 ところで前回のレースとは打って変わって、フェラーリのペースはマクラーレンと同等でした。これは昨年の対ウィリアムズでもいえたことですから、やはり速いのはフェラーリかとも思えます。しかし驕りが過ぎているのでは、とも思えるレースでした。
 

 マレーシアGP
F1 2003:Rd2 Malaysia